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~音楽のある生活~

thunderclap

AGASHA
2007/12/20 戯言奇譚 [169pv]


ガラスの割れる音。
投げた花瓶がただの破片になる。
ひたすら流れる音楽に身を任せて、彼は酔っていた。

この世に正しいことがあるとしたらどんなことだろう?
そんな疑問を洗い流すように雨が降る。

この部屋を照らす灯りは雷だ。
夏はこうやって部屋を暗くしておいたほうが涼しい。

彼は、本棚にあるアルバムを手に取った。
三年前の、ある女の写真-ベットに横たわっているもの、
手足にあるアザだけを撮ったもの、そして、赤ん坊のように
屈託なく笑っている顔。

彼の頬に流れるものは、素直な気持ちを表していた。

1ヵ月前の蒸し暑い日。
外に出るのも嫌になるくらい陽射しは強い。
窓を開けて空を眺めてみた。
蝉がひっきりなしに鳴いている。
入道雲が相変わらず低いところからこちらを見つめている。

どうせ冷房もない部屋だ。
何か気晴らしになることはないだろうか。
何かしたほうが有意義に汗を流せる。

彼は35度以上の部屋で横になっていた。
何もしなくても体力は奪われていく。
手に持ったうちわを扇ぐ気にもなれない。

一瞬、何かの物音が聞こえた。

-なんだ? とうとう幻聴まで聞こえ出したか?

しかし、今度はよりハッキリと物音が聞こえた。
「俊平さーん、柊(ひいらぎ)です」
柊? そんな人は知らない。
でも確かに俺の名前を。

「お留守ですかー?」
彼は仕方なく起き上がり、玄関を開けた。

「どちらさまですか?」
そう聞くなり彼は驚いた。
モデルにでもいそうな、
彼にはまったく縁のない美人がそこに立っていたからだ。
けれど麦わら帽子をかぶっている所為か、幼くも見えた。

「俊平さん? 私、柊 聡美」
やっぱりどう考えたって見覚えがない。
多分誰かと間違えているんだろう。

「あの、どこかでお会いしましたっけ?」
俊平は少し頭をかきながら言った。
「やだ、忘れたんですか?
 春に山でお会いしたでしょう?」
聡美は彼が覚えていないことを気にもかけずに笑顔で言った。

どうするか。
まあ、部屋でごろごろしているよりは、
この娘の話に付き合うほうが数倍良い。

「記憶力悪くて。
 それで、どうしたんですか?」
「ちょっと近くまで来たもんですから、
 よかったら一緒に散歩でもと思って。
 川沿いのほうに行こうと思うんです。
 いつもはペットを連れているんですが、
 怪我をしてしまったので今日は一人なんです」

あまりに急なことなので俊平は戸惑ったが、
特に断る理由もなかったし、
ちょうど退屈していたところだったので
ついていくことにした。

「帽子、かぶったほうがいいですよ?
 私もかぶってますし。
 ほら、あのいつもの野球帽があるじゃないですか」

俊平は帽子を取りに行きつつも首を傾げた。
何でこの娘は俺が帽子を持っていることを知っているんだろう?

俊平は納得の出来る答えを見つけられないまま外に出た。

川までの道は、
俊平が住んでいる公団住宅の中央の並木道を抜けて、
大通りを渡ればすぐだ。
並木が隙間もないほど囲んでいるので、
川に出るまでは日陰にいられる。
それでも俊平は着ているシャツの背中を変色させており、
その顔にも大量の汗が流れている。

「あーづーいー……
 柊さん、よく平気だね」
俊平はあごを前に突き出し、気だるく手をぶら下げた。

「そうですか?
 じゅうぶん涼しいと思いますが……
 ほら、木々の葉っぱもあんなに揺れてる」
聡美は上を見上げながら言った。

「確かに、風は吹いてるけど。
 だけどこれだけ暑いと効果ないよ」
俊平はそうい言いながら見た彼女の二の腕が、
まったく汗を掻いていないことに驚いた。
それに気づいた聡美は俊平に言った。
「あ、私汗を掻かない体質なんです。
 だから体温調整が出来なくて、
 その代わりいつも水をペットボトルに入れて
 持ち歩いているんですよ」

「あそっか、どおりで汗を掻かないわけだ。
 山に行ったときもペットボトルは持っていたっけ?」
俊平がその質問をすると、
聡美は不意をつかれたように一瞬だけ固まった。
そして、少し間を置いてから頷いた。

「あ、信号青ですよ、渡っちゃいましょう」
そう言って聡美は足早に信号を渡った。

川は静かに流れていた。
今年は水不足だというのに、
あまりいつもと変わらない様に見える。
中州では水浴びをし終えた鳥たちが休んでいた。
下流近くだというのに殆ど濁っていない水面は、
水中にいる鮠や他の小魚をハッキリと見せていた。

「私、男の人と歩くのって実は初めてで。
 ……俊平さんなら慣れているでしょ?
 女の子と話すの。
 出来れば何か話してほしいな」

聡美は麦わら帽子の下から無邪気な、
でも恥ずかしそうな笑顔をのぞかせた。

……この娘はたぶんどこかのお嬢様なんだな。
普通の人とは違った雰囲気がある。
そう、簡単に言ってしまえば汚れていない。

「あんまり話はうまくないぜ」
俊平はそう言うと、また川岸を歩き出した。

それから毎日二人は会うようになった。
買い物に行ったり、公園に行ったり、
海までドライブしたりと楽しい時間を過ごした。

そして、2週間が過ぎたある日、
2人はまたあの川沿いを歩いていた。
水面を朱に染めるほど低くなった夕日は、
スジのようになった雲の陰に隠れようとしている。
しかし、空は不気味に薄暗い。

…なんだか雲行きが怪しくなってきたな。

俊平はどこか雨宿りが出来そうな場所はないか探した。
「なんだか雨が降りそうな雰囲気ですね、
 今のうちに屋根のあるところに移動しましょう」
それを聞いて空を見上げた聡美は、静かな声で返事をするだけだった。

2人はコンクリート造りの冷たい橋の下に避難した。
ところどころにスプレーによる落書きがある。
しばらくして、雨が降り始めた。
雨はすぐに強くなり、地面を叩き、
雷も鳴り出した。
「本格的に降ってきたなぁ」

…でも、この娘と一緒ならいいか。

俊平はそう思い、一息ついて聡美のほうを向くと
元気のない顔にぶつかった。

「……私、嘘を吐いていました」

聡美が突然そんなことを言い出したので、
俊平は優しく聞き返した。

「たぶん、もう気づいていらっしゃると思いますが、
 春に山でお会いしたというのは、嘘なんです。
 単に、口実が欲しかったんです。
 あなたに会うための」
そこでいったん聡美は言葉を止め、
思いっきり息を吸い込んだ。

「私は…、幼い頃に両親を亡くし、
 親戚を転々として生きてきました。
 居候の身ですから、食費は自分で払えと言われて、
 13歳の私には仕事なんて殆どなくて、
 たまたま近くにあったパン屋さんの手伝いをして
 何とか食べていました。でもそれも束の間、
 中学を卒業したら家を出ていきなさいと言われて、
 荷物をまとめさせられて、家から追い出されました。
 それからは公園やら駅やらで寝泊り。
 ファーストフード店の残り物で暮らしたりしていました。
 そんなとき、下宿所付きで働ける場所があるって
 言われたんです」
「………だいたい想像はつくよ」
「とにかくちゃんと食べられるって思って必死に働きました。
 お金ももらって、少しはマシな生活が出来るようになりました。
 でも、ひとりの生活は変わらなかった。
 けど、そんな私に初めて温かく接してくれた人がいたんです。
 私が疲れたときに御飯を買ってきてくれたり、
 料理を作ってくれたりしてくれました。
 そのことが私にとって凄く支えになったんです」

俊平は聡美から目を逸らした。

「俊平さん、あなたがしてくれたことじゃないですか。
 私、愛されたことってなかったから、
 それが凄く身に染みたんです。
 だから、あなたが仕事を辞めた時、
 どうしたんだろうと思いました。
 日に日に逢いたいって気持ちが強くなり、
 勇気を出して会いに行きました。
 でも、あなたは気付いてくれなくて。
 しばらくすれば思い出してくれるだろうと思っていたんですが…」

そこまで聡美が言ったら、俊平の方から口を開いた。

「そうか、君はミサちゃんか。その話を聞いて思い出したよ。
 もっと痩せてて小さかったから“わからなかった”」
「何で、何で仕事を辞めたんですか?
 確かに他人に言える職業じゃないですけど。
 何で私に何も言ってくれなかったんですか?」

雨は激しくなる一方だった。
雷は何度も爆音を轟かせている。

俊平は立ち上がって言った。
「昔のことは忘れたよ」

聡美は信じられないといった表情で、
「うそ!
 そんなことないでしょ?
 私、あなたのおかげで大切なことに気付けた。
 だから仕事も辞めて、
 家政婦というまともな仕事をするようになったんだから」

少しだけ沈黙が流れた。
雨の音だけが世界を支配していた。

「少し自意識過剰だと思わないか?
 あんたの今までの経験からすれば確かに救いかもしれないが、
 俺がただ単に利用しようとしたってこともあるんだぜ」

俊平はそう突き放し、唇を噛んだ。
彼女は言葉が見つからなく、辛うじて
「でも……」とだけ言った。

「じゃあな、楽しかったぜ」
それだけ言い残し、俊平はその場から立ち去っていった。

雷はまだ激しく唸っている。

俊平はさっき割った花瓶の欠片を集め、
それをゴミ袋に入れた。
そしてまた写真を眺めていた。

背中に無数のアザ。
腕には切り傷。

「元気だったな」

俊平はボソッと独り言を言ったあと、
急に思い出したように家を出た。

俊平はいつものバーに来ていた。
俊平の仕事はミサのような娘を騙して眠らせ、
お客に好き放題させて報酬をもらう仕事だった。
そのためにミサのような娘に優しくして
油断させることも仕事のうちだった。
そう、全ては仕事。
けれど、ミサのことを知るうちに、
手が出せなくなった。
背中のアザ。
俊平も昔、虐待を受けたことがあった。
それを思い出すともう手が出せなかった。
だから俊平は仕事を辞めた。

「俊平さん!」
呼びかけられて振り向くとそこにはミサがいた。

「探したの。
 それと、私、あなたの仕事知ってたの」
「え!?」
「橋の下で突き放されて、
 きっとそのことを気に病んでいるんだろうなと、
 それで、辛いんだなと思ったけど、
 私、やっぱりあなたのこと好きだから」

そこまで言うと、あとはうまい言葉が出てこず、
聡美はそのまま俊平を抱きしめた。

「私を置いてかないで」

俊平は頭を優しくなで、
そして、小さく頷いた。



AGASHA
2007/12/20 戯言奇譚


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